INTERVIEW社員インタビュー

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Kuromiya Daiki

黒宮 大貴

  • コンサルタント
  • 株式会社キーエンスから転職
  • 2021年入社

M&A仲介こそ、中小企業を再生する本質的な手段

2010年に株式会社キーエンス入社。営業部にてコンサルティング営業や顧客対応に従事している。

メーカーの営業マンとしてではなく、一個人、自分自身を見てもらう土俵で仕事がしたかった

メーカーの営業マンとしてではなく、一個人、自分自身を見てもらう土俵で仕事がしたかった

ファーストキャリアはキーエンスという日本有数の営業会社を選択した。
最初の配属は東京本社。
三品業界と言われる食品・薬品・化粧品会社に対して、賞味期限などを打つインクジェットプリンターの営業。
担当エリアは東北地方と、あまり馴染みのないエリアだったが、毎週プリンターを持参し、足繁く現地に通った。
4年目からは大阪に転勤になり、京都や北陸地方などを担当した。
職場には恵まれてたと思う。
退職した今でも大好きな会社だし、キーエンス時代の先輩後輩とは今でも仲良くしてもらっている。
成果も出しており、同年代の中では好待遇な給与水準の会社。

しかし同時にどこか満ち足りない気持ちも抱えていた。
キーエンスはメーカーである。
メーカーの営業は究極、商品がよければ売れる。
更に非常に仕組みが整った会社だったため、僕でなくても売れるのではないかと常に感じていた。

「中小企業を再生する。」

「中小企業を再生する。」

そのようなモヤモヤを抱えていた中、コロナウィルスが社会を変えた。
特に僕が多く担当していた食品業界は大きく変わってしまった。
近しい関係の社長さまから、売上が7割減ったという衝撃的な話も聞いた。
何をすれば売上が戻るのか模索している経営者たち。
違うフィールドでなら解決できる手段があるのではないか、とそこまで抱えていたモヤモヤが爆発した。
思えば僕の地元である三重では、子どもの頃から近所のスーパーが潰れたり、身近な商店街がシャッター街に変わっていく瞬間を体験した。
父は三重県四日市でコンビナート向けに仕事をしている経営者。
ずっと中小企業の経営者の悩みを近くで見てきた。
転職しようと考えたが、同時に不安もあった。
同年代では破格の年収。
少なくとも一時的には年収は激減するし、何より別の業界で成果を出せる保証もない。
ただ自分が40歳になった時に、ここで動かなければ確実に後悔すると思った。
決断してからは早かった。
「中小企業を再生する。」
その志を考えると、一般的にはコンサル業界などが浮かぶが、本質的な課題はコンサルでは解決できない。
僕は様々な業界を見る中で、M&A業界こそがこの志に火を灯せる場所だと感じた。

買収先の社長になるという新しい夢

買収先の社長になるという新しい夢

そんな中で、M&Aコンサルティングに出会った。
最初は、代表がキーエンス出身ということで話を聞いてみようと思った。
業界の中ではかなり若い会社。
ただ話を聞く中で、同業他社と違い、売り手サイドも買い手サイドも一気通貫で関われるし、何よりそこで働く人たちに熱さを感じた。
更に製造業に強みがあると聞き、ここでなら成果を出しながら志を持って働けると確信した。
入社し、間も無く一年が経つ。
業界他社と違い、社内に変な軋轢もなく、本当に自由度が高く、ある種経営者に近いような働き方が求められていると、入社してすぐ感じた。
自由度が高いということは、同時にそれ相応の責任が生じるし、埋もれてしまうリスクもある。
だがその中でも模索し続け、成果を出し続け、入社半年後には前職年収を超えた。
実は、相対しているクライアントの業種は、前職とほとんど変わっていない。
ただ、単なる機械の営業とは比較にならないくらい深い関係性が築けており、やはりここが志を叶えてくれる場所だったと感じている。
まずは足下の成果を残し続ける必要があるが、将来的には僕ら自身がM&Aに挑戦し、買収先の社長になるという新しい夢もできた。
まだまだ僕らを必要としている会社は全国に沢山ある。
あの時抱いた志を胸に、全力で一つ一つ会社と向き合っていきたい。

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